ちょこっと補足&ネタばらし/よしながふみとやおい論
- 補足
前回の最後は、ふわふわ〜とした感じで誤魔化しておこう…!!とへんなポエムみたいので締めてみましたが、そこが気に食わなかった人もいて、「え?そこ?そこ問題なんだ…その発想はなかったわ。」とびっくりしました。ネットじゃ、下手にいい人ぶるのもよくないのね、と反省しました。胸に刻んでおこう。
それで、本当は少しずつやおいについてブログで書いていこうかなと思っていたんですが、コメント欄のやり取りで最終的に持っていこうとした結論を書いてしまいました。もちろん不十分だけど。
また構成しなおしたりするのめんどくさいので、そのまま引用掲載したいと思います。
nin7nna> 『山下さんは、つまりポストモダンについて言及している、と理解した上での発言なので、もし違っていたら申し訳ないですが…
「近代」を遅延させ、そこに留まり続けようとする限り、思想なり運動なりをし続けなければならない。そしてその運動を続けるためには、「そうではない現実」がなければなりません。ここらへん保身のためににごにょごにょしたいのですが、はっきり言ってフェミニズムもそうです。フェミニズム運動を続けるためには、「そうではない現実」を探して「十分にジェンダーフリーでない」と、ラディカルに発言し続けなければ、ならない。その際、現実がどうなのかはあまり問題ではありません。たとえ男女平等な社会が現実にあったとしてもです。「バックラッシュ」とはそういうフェミニズムに対する批判なんですよね?その辺よく分かりません、勉強不足…
つまり、「近代」が十分に達成されたことによって、それを支える近代的思想が捨てられるのではなく、そうではない新しいパラダイムが近代的思想の代わりに立ち上がってきたときに、「近代」は終焉を迎え、近代的思想も役割を終える、と思っています。
だとするならば、男女平等が達成されたことによって、フェミニズムもその抑圧によって生まれたやおいも役割を終えるのではなく、むしろそのフェミニズムが骸形化することによって、やおいは存在意義を失うのではないか。何度も言うように、たぶんやおいという表現は消えないでしょう。(形式だけは残るのがポストモダンだから)。sawaさんのコメントにも書きましたが、私のやおい観ははっきり言って古いです。以前のヤオラーは少年誌のキャラをやおい視しているのを決しておおっぴらにしなかったのに、今の腐女子はどうもそういう認識はないみたい、という指摘があるのですが、やおいという表現に対し何の拘泥も持たない腐女子がこのまま増え続けていけば、その内実を問われないままに、表現が表現としてだけ残る日が来る。あまり役割とか〜すべきという言葉は使いたくありませんが、山下さんの言葉を借りるならば、(もしかしてとっくに来てんのかもしれないですが)そのとき『やおいの役割は消える』、やおいは終わるのでしょう。
たぶんしばらくやおいに関しては書かないと思います。卒論をそろそろ真剣にやんなきゃな〜。
- ネタばらし
「よしなが〜」を書いてる間、気晴らしに行った本屋で、よしながさんのインタビューが載っている雑誌を見つけました。
STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2006年 09月号 [雑誌]
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- 発売日: 2006/08/05
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私は普段こんなオサレ雑誌を買わないのですが、よしながさんのこの言葉を読んで、不覚にもじわっときてしまい、こりゃ立ち読みしてたら本格的に泣いてしまうと思って購入を決意しました。
―だから『愛すべき〜』を描いてみてはじめて、どうしてボーイズラブを描いているのか分かった。“男女の話を描かなければ、フェミニズムに触れないで済むからなんだ”って。ボーイズだったら、私が女として持ってしまう葛藤を描かずに済む。だから描いていたんだなぁっていうのを遅まきながらわかったんです」
ただの自分の思い込みでしかないし(たぶんそうなんでしょう)、おこがましいと思うけど、よしながさんのこの言葉は、私の胸を突いたし、がんばって書いてみよう、という原動力にもなりました。
あと、『メロディ』最新号も立ち読みで見ました。『大奥』急展開でしたね。結局自分の女性性を否定、あるいは疎外された女性は、男性によってその女性性を肯定されないと生きていけないのかなぁ、としんみりしました。