替え歌で歌へ君が代

君が代」の英詩替え歌がインターネット上などで流布しているそうですね。「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」ということで、国旗国家法の制定後、サヨクの皆さんの間で広がっているらしいです。

Kiss me, girl,your old one.
Till you're near,it is years till you're near.
Sounds of the dead will she know?
She wants all told,now retained,for,cold caves know
the moon's seeing the mad and dead. 
[訳]
私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。
おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来てくれるまで。
死者たちの声を知ってくれるのかい。
すべてが語られ、今、心にとどめておくことを望んでくれるんだね。
だって、そうだよね。冷たい洞窟(どうくつ)は知っているんだからね。
お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。

私は皇室ファンなので、テレビで皇室特番やってたら必ず見ちゃうし(日曜早朝やってるのもイイ!!心が洗われるよ。)、美容院や銀行で待ってて暇なとき、「女性セブン」に「宮内庁女官との確執!!雅子さま苦悩の真実!!」の見出しが躍ってたら必ず読みます、ハイ。さらに中国や韓国に生まれなくてホントよかった〜ニッポンバンザイッッとも思っています。(民族差別じゃなくて、外敵をつくることでしか国民をまとめられない国って一体…って思ってるから。)

だけど↑の英語詩見てフツーにえ〜?オサレじゃん。オサレ!って思っちゃった…。従軍慰安婦の暗喩だとか言われてますけど、それは置いといて歌詞だけ見たら小難しくてもの悲しくてかっこよくないですか?「君が代」の歌詞って高校卒業したらヤンキーの改造車に貼ってあるステッカーくらいしかお目に掛かれないんですけどそれがまたダサいのダサくないのって。んーちょっと鬼塚ちひろCoccoが好きな自意識過剰ぎみの女の子に人気出そうですね、この替え歌は。あっそれは私がそういう女だからか?ビョーク好きだしね…。個人的にmadがlunaticだったらmoonと関連性があって詩的でよかったなーと思う。そしたらぜんぜん替え歌じゃなくなっちゃうけど。だいたい今日び嫌韓とか愛国心とか流行らないですよ!マジョリティになっちゃって。これからはオサレでサブカルサヨクが、他人と差をつけてキャラ立ちするためにはいいんじゃないでしょうか。

私は小中高を通して、まあ普通に入学式や卒業式で国歌斉唱をするごくごく平凡な公立校に通っていたので、土下座さすとか日の丸燃やすとかのトラウマ教育を幸い受けずに済みました。だけど一年生になってすぐ、応援団の人と共に体育館に集められて校歌の練習をしたし、体育会系の部の新人大会の前にも毎年必ず全校生徒による応援練習がありました。

基本的に団体行動の苦手だった私はそういう時間がめんどくさいものでしかなかったし、…てゆーか普通にキモいよ!校歌を嬉々として歌う学生って!それでもまー、一応歌うわけですよ、歌わなかったらもっとめんどくさいことになるんだから。最初はやっぱり周りも声が出なくて、音楽の先生ピアノ弾きながら「声が小さーい」ってキレちゃったりしてね。徐々に声が出始めると「歌い始めの所はもっとはっきりと発声して!」とかツッコミがいちいち入って、そんで終了予定時間ちょっと過ぎたくらいで「本当に大きな声で歌うことができました。本番ではしっかり歌って選手の皆さんを気持ちよく送り出しましょう!」とかなんとか誉めて終わるのな、絶対。それが毎年毎年続くんだから学生側も憶えといて初めっから大きな声で歌えばいいのに、一年経つと忘れてしまうのかやっぱり毎年同じことが繰り返されるわけですよ。絶対ワザとだ先生分かっててキレたり誉めたりしてるよと、学校ぐるみの八百長を見せられてこっちはショックだったっていうのに…。でもめんどくせーと思いながらも、私はしっかり大きな声で歌っていました。早く終わりたかったから。

このように校歌は歌うことを強制されても、国歌はさすがにまずいのか国歌練習なんてなかったし、式の時「国歌斉唱、起立」と言われるだけで、口パクや座ったままの人を先生方が注意することはありませんでした。でも国歌も校歌も屋台骨が違うだけで、特に思想のない学生にとっては同じ事なのではないですか?どうせなら君が代も強制して歌わせてみれば?どっちも変わんないよ、と当時意地悪く思っていました。今、愛国心を教育方針に織り込むとかで議論になっていますが、我が身を振り返るに、義務教育のときは国なんかどうでもよくてもっと目先の人間関係とかに必死だった気がします。

右も左も国旗や国歌に過剰に意味を読み込み過ぎ。天皇制度も国歌も、社会を構成するただの記号でしかないのに、今までタブーにしていたから一方で持ち上げすぎたり一方で貶めすぎたりするんじゃないですか。君が代=オリジナルを替え歌によってパロディ化するやり方には、日帝主義と国家の強制に対抗する信念(…)よりも、シリアスなものを“ずらし”ていく軽さを感じました。いわば左翼によるポストモダンの肯定ですよ、これは!!あれ?言いすぎ?私はこの浮遊感を肯定しますが、こういうのってやっぱどっちからも嫌われるかしら…?