相関図見ただけで分かった気になってんじゃねーよ!(→自分)

ネットの海を泳いでいると、注目されている話題には必ず相関図とか関係図が作られているのに気がつきます。mixi相関図作成ソフトとかドラクエからガンダムまで。ネットに転がる相関図・家系図まとめとかね。blog連合閉鎖祭りまとめサイト・戦況図は、出てくるだろうと思ったけど感心しました。自分達がその聖戦の当事者であるのにも関わらず、それを相対化する「関係図」をつくってしまうVIPの人たちのクオリティタカスです。すげー。

アニメやラノベは相関図作りやすいキャラクター作品だからってのもあるんでしょうけど、現実に起こった事件や問題の相関図まで作るのって、クラスメイトの人間関係を矢印でノートに書き綴っていたかつての私ですか?それ。(したかもしれないけどしてないかも。多分やった。小学校の時のことって都合のいいことしか憶えてない…)

相関図はもちろんその問題を理解するための大きな手助けになります。現代思想でも科学でもなんでもいいですが、「○○○モデル」だとか「○○の構造」と称して図を援用し説明するのがもっとも分かりやすい説明であると思います。ところが一方で、その図を作った・見ただけで分かったような気になっちゃう、その問題の外部に自分が立っていると錯覚してしまう効能もおまけでついてくるのです。mixi相関図なんて最たるものでしょう。そこでは自分を取り巻く人間関係が相対化できると考えられていて、自己というものすら、マイミクによって関係づけられるだけのもの、実体を伴ったものではなくなってしまう。
だから↑のまとめサイト祭り相関図は、おっそろしいまでに的確に2ちゃんメンタリティを表していると私は思っています。見てください!この絶対的なメタ視線っぷりを。

こういう方法には私もものすごく身に覚えがあって、授業のレジュメで登場人物の相関図作って悦に入って発表したりとかしているのです…。どうも自分の文学の読みは構造主義的な気が。作者の内面を文学的な美しい言葉で掘り下げている発表者がいるとホント羨ましい、くやしい。踏んづけてやりたい。髪の毛ひっ捕まえてブンブン振ってやりたい。かといってそういうやり方を反省しつつも、いざやるとなるとそれしかできない女なのです、ああぁぁあ…。そしてそういう思考体系は、私の考え方行動すべてに関係しています。

私は相関図を見るのが好きです。そしてなるたけ自分で関係図を(脳内で)書き出そうとしてる。それは自分がサブカルにばっか親和性が高い人間で、いろんなことを基本的に信じていないからです。でもなんだろだからといって、メタ視できただけで分かったような気になりたくない、それこそ視野狭窄に陥る可能性があるということを、胸に留めておきたい。相関図にあらわせないこと、そこから零れ落ちるものを掬い取りたい。分からないことに怯えたくない。これはあくまでも自戒です。