寄生獣はデビルマンに影響を受けてる(って当然のことだったんですね)

デビルマン (1) (KCデラックス (435))

デビルマン (1) (KCデラックス (435))

読んでみましたデビルマン。「これは卒論のため!決して娯楽じゃないの。(私的)参考文献なんだから〜」ってこじつけて読んだけど…おもしろかった〜。自分は漫画リテラシがあまりにも足らないなぁと思ってたけど、これはしょうがないですよ。こっち生まれる前にこんな作品がざくざくあるんだもん。今連載している作品でさえ追っつけないのに、この漫画現役で読んでた世代がうらやましいです。最近鉄腕アトムも読み始めたけど、信念や理想がしっかりしてる作品ってやっぱ求心力あります。オイ誰だ死んだって言った奴出てこーい。でも、過去の作品漁れば読みきれないほどおもしろいのがある今ってかなり幸せかも。

絵は、私はあんまり上手い下手には拘らないし、ヘタウマ絵が好きなので気にならないかと思ったんですけどさすがに正直え…ナニコレと思いました。でも巻が進むにつれてそれでも上手くなってるし、永井さんは基本的に人間描くより異形の怪物描くほうがうまいんですね。人の体きちんと描けない所がいい意味で怪物描くのにぴったり。あと、主人公・不動明デビルマンに変身するまでを1巻丸ごと使って説明するのって、今の商業誌じゃとても出来ないよなぁと思いました。普通1話でデビルマン誕生…!!までやんないと、ジャンプだったら次の週いきなり最後から2番目掲載になっちゃいます。そう考えると、やっぱり昔っていい時代だったんですね。

それでですね、人間VS異形の戦いが、人間の本質に迫っていくって展開、すげえ寄生獣に似てる!これは絶対デビルマンの影響を受けてるっ!世紀の大発見やーって喜び勇んでブログに書こうとしたところ、ちょっとググってみたらデビルマン寄生獣の影響って定説だったんだぁ……。寄生獣の作者も認めてるって、あー赤っ恥かかなくて済んでよかった。寄生獣は、確かにあからさまにデビルマンの展開をパク…ってるんじゃなくて(ほとんど確信犯的に)なぞっています。そして当然そこでは、両者とも同じテーマが浮かび上がってくるわけです。

デビルマン」の最後、不動明は敵のデーモンよりも、自分が悪魔になってまで守ろうとした人間自身に対して深く失望し怒りを表わします。それは、自分が生き残るためなら人間狩り、殺し合いなどの悪魔の所業に手を染める、さらに恋人の美樹でさえも殺してしまう、人間の姿を嫌というほど見せつけられたからです。まさに「悪魔の正体は人間」であり、人間が悪魔に近づくことによって、両者が背負う善と悪は転倒してしまう。

一方の「寄生獣」が取ったのは逆でした。確かにミギーは人間とパラサイトどちらも生物として生きるために命を奪っているだけだと言い、シンイチも徐々に冷酷な人間になっていきます。しかし、パラサイトである田村良子が赤ん坊に愛情を見せ、なによりもミギーがシンイチを命を懸けて守りました。ここでは悪魔(非人間)のほうがが人間側に近づいているのです。最後乗っ取るはずだった人間にミギーが取り込まれて眠りにつく結末は、善と悪の転倒というよりか、善と悪どちらも内包した存在としての人間を表わしているようにしか思えません。

漫画通史としてものすごくおおざっぱに言ってしまうと、手塚的な勧善懲悪が崩れた後の漫画として、善/悪が見事にひっくり返った「デビルマン」やその後のポスト・デビルマン的漫画があるわけですよね。手垢のついた言説でアレですが、大きな原因としては70年以降のイデオロギー紛争の失敗があるわけです。だけど「寄生獣」が手塚的な勧善懲悪もデビルマンの世紀末的廃墟も乗り越え、善と悪を日常的なテンションのまま淡々とした筆致で描きだそうとしてるのって、やっぱ90年代以降じゃないと無理じゃなかったかなと思います。それは70年代、80年代を経たマンガとしての進歩とも言えなくはないかなと思ったりもしています。とりあえずデビルマン的命題をまんまなぞって解決できなかったエヴァとは違う。そういえばデビルマンの最後まんまエヴァと一緒でびっくりしました。

ヒストリエ」も読んでみても、いっくら内臓ぶちまけようが首チョンパしようが岩明均先生の根底にあるのは人間礼賛、ヒューマニティ萌えなんだなと思ってほっこり。とりあえずはよ続きが読みたい。ガラかめもハンタも続きを待っているんだから、これ以上待つ作品が増えるのはもう嫌なんです…。

蛇足ですが、デビルマンの外伝?みたいなので主人公と親友・飛鳥了がうほっな関係になってて正直wktkしました…。最初了は自分のことおれってゆってたのに、むしろ明より偉そうだったのに、いつのまにかぼくホントは…って頬染めて明を見つめてました。一体なんなのこの乙女化は…。いや萌えるけれどもー。