最近のコミックって1表紙1キャラのパターンが多い気がする

えーとエントリのタイトルまんまなんですけど、最近の漫画の単行本の表紙って、登場人物が一人ひとり順ぐりに描かれていくパターン多いような気がしませんか?分かりやすい例だとブリーチとか銀魂とか。まず1巻に主人公で、2巻以降は味方キャラ達が次々登場し、しばらくすると敵キャラや新たに投入したキャラが描かれてくってパターン。最初のうちはいいけど、連載が続くにつれて誰描こうか担当と作者の悩みの種になっていくであろうあのパターンのことです。一回それで行くと決めたら二度と引き返せないから大変だと思われるのですが、ほとんどの単行本はそうなって来てますよね。完全版なんか全部そうだ。特に白い背景にキャラがたたずんでるっていうのも多い気がします。

個人的に私は、表紙パッと見ただけで中身がだいたい分かる、ワンピースみたいな表紙の方が好きです。なので今の状況はうーん、あんまり好きじゃないかも。正直ハタ皇子とかどうでもいいやろ…
デザインの流行とか変化に還元できないような現象の気がするので、現在ジャンプで連載されている作品から、数巻出ていてカバーの特徴が読み取れる漫画をピックアップし、おおまかに3種類に分類してみました。キャラクターが表紙に登場しているなら、基本的にどの漫画でもこの3種類に分類できると思います。



・オレオレ型…主人公が常に表紙を飾るパターン。ギャグ漫画や毎回完結する漫画に多い。ドラえもんクレヨンしんちゃんなど。

・王道型…主人公を中心に据え、さらにサブキャラや敵などが描かれるパターン。非常に少年漫画らしい表紙ともいえる。ストーリー漫画に多い。ドラゴンボール、スラダンとか例多数。

・キャラ萌え型…登場人物が順番に描かれるパターン。担当と作者が頭を抱える。ここ十年ほどの間にメジャーになった(と見てるんですけど確証はないです…)



ワンピ   王道型

NARUTO   王道型

BREACH   キャラ萌え型   (ネタ尽きてキャラが繰り返された)

テニプリ  王道型      (結構滅茶苦茶かも。)

ハンタ   カオス  (しいて分類するなら王道型?でも表紙どうでもいいや、中身描いてさえくれれば…)

こち亀   オレオレ→王道型 

ボーボボ  王道型       

銀魂    キャラ萌え型   (ハタ皇子はどうでもいいやろ)

アイシ   王道型

D.Gray-man  キャラ萌え型  

リボーン  キャラ萌え型   (途中からキャラ萌え型に変化してしまいました…残念)

ムヒョ   キャラ萌え型   (二人づつ登場で少し変則的だけどこっち)

モテ王   キャラ萌え型   (んー微妙…毎回全員登場はしてるんですけどこっちかな?)

ネウロ   キャラ萌え型   (ネウロ+誰かパターンなのでオレオレでもある)

ジャガー  オレオレ型   (最近はジャガーさん+アニマルパターンですね)

連載中のってこれくらい?不安だ…えーと、たいがい1巻は主人公ひとりの表紙なので、そこからどのパターンを選択してもイケます。ただしキャラ萌え型の表紙は5巻以上は続かないとカッコがつかないから、早期に打ち切られそうな漫画の表紙は2巻発売までにキャラ萌え以外のパターンに決定するとか、そんなおっそろしい取り決めが編集部の中であるのかも…とか妄想してしまいましたが、ジャンプで早期打ち切りになった漫画ってどのパターンが多いんだろう?タカヤは王道型?べしゃりも王道型だ。

ワンピとNARUTOが終わってしまえば、こち亀は例外としてほとんどがキャラ萌え型表紙の漫画だけになります。キャラ萌え型の表紙の顕在化は、ジャンプだと「封神演技」からじゃないかと私は見ているんですが、ここ数年特にその傾向が顕著です。このキャラ萌え型表紙の流行と、いわゆるジャンプが以前よりつまらなくなったという言説はほぼ同時期、90年代後半のジャンプの暗黒期に始まっている。


漫画の表紙の変化は、漫画自体の変化でもある
ものすっごく粗雑な推測ですが、漫画の表紙ってオレオレ型→王道型→キャラ萌え型と変化していますよね。まずオレオレ型の表紙の漫画を考えてみると、1話または数話完結型の、時間が円環する漫画が多い。たとえば「ドラえもん」。のび太は物語の冒頭、常にデフォルトのダメ人間に戻されます。ドラえもんは永遠に未来に帰ることはないし、よってノビ太が成長することはない。登場人物たちの成長(変化)は描かれることはないので、“内面”は発生せず、そしてその“内面”とは、味方や敵などの他者と自己との流動的な関係の中で形成されるものである。直線的な時間軸を持つストーリー漫画の発生により、初めて漫画はキャラクターの内面を描写出来るようになったのです。

長編漫画への移行により、以前は描くことのできなかった“内面”とともに、その“内面”に大きな影響を与える他者、主人公以外のキャラクターに焦点が当てられるようになります。物語のはじまりから終わりまで、連続した時間のなかでテーマを描くことの出来るストーリー漫画では、主人公と味方の関係、主人公と敵方の関係が細かく描かれ、物語を揺り動かすダイナミズムとなります。そこでは主人公は他のキャラときびしく峻別されるような特権的存在ではなく、あくまでも関係性の上で成り立つ存在として主人公が描かれている。非ストーリー漫画からストーリー漫画へ、円環する時間軸から直線的な時間軸へ、非成長物語から成長する物語へ、漫画自体の大きな変化が、表紙の「オレオレ型」から「王道型」への移行にも表れているように思うのです。


漫画の表紙に押し寄せるポストモダンの波

最後に、最近流行のキャラ萌え型の表紙ですが、ぱっと見たとき描かれているキャラクターたちが、ストーリーから浮遊し、自律化しているような印象を受けました。そして主人公も、その他のキャラクターと同等に羅列できるところまで地位が落ちている。たぶんこの直感は間違ってないと思います。キャラクターがまさにフィギュア人形的というか、データベース消費され、ストーリーから離れたところで存在しているような気がするのです。そのキャラクターが単行本の中でどんな困難にあおうが苦しんでいようが、それとは別に、表紙でポーズを取って格好つけてることに対してすっごく違和感を感じてしまうのは私だけでしょうか。キャラクターの読みのレベルを即座に切り替えることが出来ない。確かに私はキャラクターに過剰に“内面”を読み込んでしまう古いタイプの読み手ですが、それにしてもこの急激な変化には驚いてしまう。嫌味で「キャラ萌え型」と名づけたんですけど、これってやっぱキャラ萌えから来てるの〜??

『テヅガ・イズ・デッド』*1では、漫画における近代的な“自我”や“内面”は、もはや80年代後半に一応の達成を得ているとし、それ以降キャラクターは「物語」「内面」を背負うものではなく、“キャラ”としてデータベース的に消費されていると論じていました。それは「大きな物語」という近代の世界像が終わり、データベースにもとづく世界像に移ったことと同義です。おそらく単行本の表紙の変化もまた、漫画における近代の成立と、その後のポストモダンと無縁ではない…ハズ。少なくともキャラ萌え型表紙の流行は、データベース化した、動物化したポストモダンのあり方を映し出しているように思います。



1番自分になじみがあったからジャンプで考えてみたんですけど、マガジンでもサンデーでもおんなじような変化は起こってるんじゃないでしょうか。いやもう、全っ然分からないけど。誰か2ちゃんでスレ立てて…。んでニュースサイトにサルベージしてください…。少女漫画はどうなんでしょうか。違うような気がするんだよな〜でもフルーツバスケットは表紙がアレですよね。だいたい題名からして…

当然ですが、オレオレ型の表紙だけ見てこれはストーリー性に劣っていると断定したり、キャラ萌え型だからどうせ萌え漫画だろとか思うわけじゃないっすよ。むしろこの傾向に当てはまらない漫画のほうが多いだろうし、漫画の多様性を願うにあたってはそうあって欲しいです。だからキャラ萌え型表紙の漫画ばっかりになっちゃうのはホント淋しい。キャラクター順番に揃えるより大切なことはあるだろうと。

*1: 実は未読です…。人様のレビュー読んでなんとなく理解しました。