萌え殺し!! 高村光太郎「智恵子抄」

前回の日記を、よくよく見返してみましたがとんでもないですね。なんだか中学生が真夜中に書いたラブレターのような痛いテンションで書いてしまいました。朝正気に返って何を書いてるんだ俺はみたいな。書いたの昼間だったけどね。でも削除するのもどっちにせよ痛いのでそのままです。どう転んでもアイタタタ…ハア…。

ところで前取り上げたエキサイトブックス内「日刊!ニュースな本棚」の、木曜「非モテの文化誌」が先週で最終回を迎えてしまいましたー。寂しい……。本当に大好きでした。ごたいそうな「文学」が萌え文脈で読むことによってこんなに分かりやすくなるなんてー!!目から鱗コロンブスの卵的世紀の発見です。なのにこれからはバックナンバーを見るだけの日々が待っていると思うと憂うつでなりません。ほんとにがっくり。来年もこういったレビューを続けてほしいものです。

非モテの文化誌」を通して、萌え文脈は相当文学批評への汎用性があるのではないかと思いました。ぜひ萌え文脈で語りたい作品があります。これは「非モテの文化誌」のオマージュとして捧げたいです。つまり、「非モテの文化誌」のパクリ?インスパイヤ?いえいえ、パスティーシュと呼んでください。

智恵子抄 (新潮文庫)

智恵子抄 (新潮文庫)

 高村光太郎は大正・昭和に活躍した彫刻家、詩人です。彫刻家高村光雲の長男であり、自らもその道を選びました。15歳で東京美術学校予科に入学、24歳で海外留学にいくなど芸術家としてエリートコースを進むほか、思春期には同人誌に詩や短歌を発表するなど、この時代の正しい文化系男子としての道も歩んでこられました。三年半の欧米留学、そして花の都パリを訪れたことで「近代的自我」にかぶれちまった光太郎は、帰国後どっちかっていうと職人気質だった父親と対立、日本の封建的な社会に叛逆しデカダン酔いしれ暮らすようになります。芸術家仲間と、飲むわ打つわ買うわの堕落した日々…。でも根が文化系だから、いまさら高校デビューしても町一番の不良(ワル)にはなれやしないのです。そんなやさぐれ光太郎の前に一人の不思議美少女が落ち…もとい現れます。

[二十歳の智恵子。不思議な髪型してるけど美人ですね〜]

 彼女の名は、当時珍しい女流作家であった長沼智恵子。彼女は高等女学校を首席で卒業後、日本女子大に入った超優等生。洋画に興味を持った彼女は卒業後も東京に留まり、油絵の勉強をしていました。また平塚らいてう等の女性解放運動にも加わり、雑誌『青鞜』の表紙絵を描くなど、所謂世間で言うところの「新しい女」です。そんな智恵子に熱烈アタックされた光太郎にとっても、彼女はまさに理想の女。二人はあれよあれよという間に同棲時代へ入ります。

「キリストの代わりに、このやくざ者の目の前に、奇蹟のように現れたのが智恵子であった」「一人の女性の愛に清められて、私はやっと自己を得た」「彼女の純愛によって清浄にされ、以前の退廃生活から救い出されることができた」

 こうなってしまったら二人の愛を止めるものなどなく、東京の新聞社にフライデーされたり、光太郎の実家に結婚を反対されてもそんなものは恋愛のスパイス。若いふたりの恋は障害によってますます燃え上がります。智恵子の存在によってダメスパイラルから解脱した光太郎はバンバン詩を書き始め、出会いの二年後、大正3年には「道程」という、君の前には道はないーみたいな希望に満ち溢れた詩集を出すほどまでに。その年から一つ屋根の下、光太郎は彫刻をし詩を書き、智恵子は油絵を書くという二人だけの結婚生活が始まります。そう世界は、ふたりのために…。

 私にはあなたがある
 あなたがある
 私はかなり残酷に人間の孤独を味わつて来たのです
 おそろしい自暴の境にまで飛び込んだのをあなたは知つて居ます。
 私の生を根から見てくれるのは
 私を全部に解してくれるのは
 ただあなたです…(中略)…
 すべてから脱却して
 ただあなたに向ふのです
 深いとほい人類の泉に肌をひたすのです
 あなたは私の為めに生まれたのだ
 私にはあなたがある
 あなたがある あなたがある   (「人類の泉」)
 すべての差別見は僕等の前に価値を失ふ
 僕等にとっては凡てが絶対だ
 そこには世にいふ男女の戦がない
 信仰と敬虔と恋愛と自由とがある…(中略)…
 あなたは僕をたのみ
 あなたは僕に生きる
 それがすべてあなた自身を生かすことだ   (「僕等」)」

 貧乏だけど幸せな生活。しかし共働きといえども、光太郎の彫刻製作のためには女性の智恵子がやっぱり家事をやらなくてはいけなくなります。自然と智恵子が絵を描く時間が少なくなるように。「家事は分担するって言ったじゃない!!」働く女性の悩みは大正も平成も変わりがありません。そして智恵子に更なる不幸が襲います。実家の父が死亡し、その後相続人の遊蕩生活がひびいて家運が傾き、実家が破産してしまったのです。愛する故郷の喪失と不幸な母への思いが、繊細な智恵子をますます苦しめるように。

 46歳の頃から、智恵子に精神分裂病の兆候が現れるようになります。薬物での自殺を図り、命は取り留めたものの症状はどんどん悪化するように。発症の原因は、生家長沼家の破産や生来の病弱さに加え、智恵子自身の絵画制作の行き詰まりなどが重なったことによると言われています。智恵子は文展に出品するもすべて落選してしまい、自分の芸術的才能に絶望したのです。

 そして智恵子は長い苦しみの後1938(昭和13)年、光太郎に見守られながら52歳の生涯を閉じました。彼女の最後は教科書に載っている「レモン哀歌」で有名ですね。しかし私は智恵子の精神病の理由が、上記のような理由、それだけとは思いたくない。

 をんなが附属品をだんだん捨てると
 どうしてこんなにきれいになるのか。…(中略)…
 まことに神の造りしものだ。
 時時内心おどろくほど
 あなたはだんだんきれいになる。  (「あなたはだんだんきれいになる」)

 事実智恵子は中年になっても十代の少女のようにしか見えず、光太郎と二人でいると兄妹や親子のように見られたそうです。でも普通逆じゃない?きみまろが「あなたはだんだんみにくくなる」とひとネタつくってもおかしくないです。ドモホルンリンクルもホルモン注射もない時代、若さを保つには血のにじむような努力が要ったはずです。

 無数の友だちが智恵子の名を呼ぶ
 ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
 砂に小さな趾あとつけて
 千鳥が智恵子に寄つてくる。
 口の中でいつでも何かを言つてる智恵子が
 両手をあげてよびかへす。
 ちい、ちい、ちい――   (「千鳥と遊ぶ智恵子」)

 私は小鳥ちゃん!!「ちい、ちい」とまるで語尾に「〜なのにゃ」のつく猫耳キャラみたいなもんでしょうか。智恵子はこの他にも松林の一角に立って、「光太郎智恵子、光太郎智恵子、……」と1時間も連呼するなどジョンとオノヨーコを半世紀近く先に行っています。

 つまり詩を書くことは智恵子への愛の表現である一方、その詩は智恵子を、光太郎の理想する智恵子のなかに閉じ込めもしたのです。智恵子は『女の生きていく道』の中で「男にも自由があるように女にも自由がある。是れが男女を通じてその生活の根本である。どう考えてみてもこの根本は動かない」と述べているように女性問題にも関心を持つ、新しい女性でした。そんな彼女が愛する人に脳内で萌えキャラ化され、自分を見てもらえないことの辛さ。亭主関白な旦那ならともかく、光太郎はむしろ男女対等、と西洋的な恋愛を理想にした男性でした。理想の高く、純粋な智恵子は、そんな理想と現実の矛盾に耐えられなかったのでしょう。しかし智恵子は詩の中の智恵子になりきろうとした。それは光太郎が表現者であるように、彼女も表現者だったから。

 智恵子は入院してから死ぬまでの間に、たくさんの切絵を残しました。光太郎のためにつくしてきた智恵子は、今度は自分が病気になって立場が逆転することによって、芸術への情熱を取り戻したのです。クリエイティブな才能がないのでよくわかりませんが、芸術作品は誰かの全面的な肯定がないと生み出せないものなのかもしれません。

  智恵子の切絵作品たち


 その後智恵子を失って失意のずんどこにあった光太郎は、戦争に向かう国家に協力し天皇陛下マンセー大日本帝国マンセーな詩を書くようになります。戦後間違っていたと反省し、世捨て人のような生活を死ぬまで続けました(光太郎可哀想)が、それはそうとしてやっぱり純愛と右翼って親和性高いのでしょうか。折れ線グラフにして比例関係にあるか調べたいです。だれかやってないかな〜?

 

今回時間かけてがんばってみたんですが、パロとは名ばかりのレビューになってしまいました。難し〜い。もっとサブカルに詳しくならないとダメだわ。本当は今年中にもう一個書こうと思ったんですがとても無理なようです。残念。それではよいお年を。

参考)高村光太郎
   県内活躍した女性たち−高村智恵子